古くから産業文化が栄えた小田原で、江戸時代初期の寛文元年(1661年)に創業した小田原 江嶋。
今回はその歴史を紐解きながら、受け継がれたきた想いや江嶋の物語をご紹介します。
【江嶋のはじまり】- 江戸時代 –
◆創業は寛文元年(1661年)
4代将軍徳川家綱の時代に箱根関所の役人だった、初代「江嶋 権兵衛」が東海道の宿場町である小田原で商いを始めました。
なんと創業当初は今の江嶋とは全く違い、小田原の海辺で「製塩業」を営んでいたと伝えられています🌊
◆主力商品「お茶」の登場
江戸時代中頃からは、人々の生活の中で需要が高まっていた「和紙」(文書や襖・障子用など)を取り扱うようになりました📜
紙の行商で出向いた駿河や遠江(現在の静岡県)で、特産品の「お茶」を持ち帰って小田原で売り始めたのが、
現在の主力商品であるお茶を取り扱うきっかけとなりました🍵
【江嶋の変革期】- 幕末から明治・大正 –
◆13代平八と「報徳思想」
江嶋では、当主は代々「平八」という屋号を名乗ってきました。
嘉永5年(1852年)に24歳で家督を継いだ13代平八は、傾きかけていた家業を立て直すために、並々ならぬ経営手腕を発揮します。
明治元年(1868年)現在の場所に店を構え、当時はまだ珍しかった商業簿記の記帳を実施しました。
そうした経営理念には、小田原出身の農政家 二宮尊徳の「報徳思想」を取り入れ実行した背景がありました。
報徳思想の教えの一つに、「道徳と経済の融和」があり、道徳(心・精神)と経済(身体・物・金)がバランスよく融和し、
互いに支えあうことが大切であると説いています。
◆15代平八の活躍
13代平八の遺業を引き継いだ15代平八は、大正10年(1921年)に当主の指導原理や店の規則を成文化した「江島本店々則」を制定。
商人としての役割や目的を明確にし、社会貢献することで互いの利益になること(「自他両全」)を経営の基盤としました。
また第二次世界大戦後は、小田原市商工会議所(初代会頭)をはじめ様々な団体の設立に関わり、
江嶋だけでなく、小田原全体の発展に尽力しました。
◆関東大震災復興建築
同じく15代平八の時代、大正12年(1923年)には小田原沖を震源とする関東大震災が起き、
地震による火事で当時の江嶋店舗は消失、商品や先祖代々伝わる記録などがほとんど失われてしまいました。
そこで15代平八は全国から最良の材料を集め、5年の歳月と多額の費用を費やして、昭和3年(1928年)に再建したのが現在の店舗です。

※震災で焼失する以前の店舗(大正時代)

※震災後 建築当時の店舗(昭和3年完成)
【今の江嶋に至るまで】- 昭和・平成・令和 –
◆増改築により現在の建物が完成
昭和の間にも何度か増改築を行い、小田原の伝統的な商家建築である出桁(だしげた)造りなどはそのまま残されています。
平成最後の2019年4月、2か月半かけて耐震補強や内装工事を行い、昭和の中頃から天井で隠れていた建築当時の梁をあらわし、
天井高4メートルの空間が広がる新店舗が完成。また外観は建築当時の趣きを残しつつ、外壁に新しい杉板を貼って
当時の景観を再現しています。

※昭和30年代の店舗

※現在の店舗(2019年撮影)
…いかがでしたでしょうか?
店内には、関東大震災の火災を逃れて残っていた貴重な資料や、昭和3年の再建時に記念として作られた法被など、
江嶋の歴史を感じられる展示コーナーもございます。ぜひ一度お立ち寄りいただけますと幸いです。